5月 角館武家屋敷と遠ちゃんの墓参り

遠ちゃん(遠藤さん)

遠ちゃんとの出会いは兄が経営していたフライとルアーのショップ、ストリームサイドでした。遠ちゃんは最初あまり話をせず人見知りする人のように感じていました。私が仕事を終わってショップに行くと必ず閉店近くまで一緒にいる事が多かったと思います。約30年位前の事ですので何が切掛けだったかは良く思い出せないですが一緒に伊豆の狩野川や千曲川源流の川上村に釣行した事が切掛けだったと思います。私にとって初めての千曲川を遠ちゃんに案内してもらいました。フィッシングポイントを事細かに説明してもらった事を覚えています。伊豆や川上にはシーズン中は毎週のように同行しました。どちらの釣り場も遠ちゃんの案内や説明が良かったのですぐに同じように釣れる事になったのを機会にフィールドは広範囲にわたり芦ノ湖にも一緒に行きました。それまで遠投が苦手だった私が釣りをするのに不自由しない程度まで投げれるようになったのも遠ちゃんと芦ノ湖へ立ち込みをするようになったからです。釣行は海外へ広げてニュージーランドやアメリカにも一緒に行きました。

解禁初日の最初の日曜日、伊豆では二人でより多くのポイントを探る事を目的に、各場所15分で移動する事で毎年のようにポイントが変わるヤマメの居場探しをしました。次の週から釣り人の居る場所は避け、魚の沢山いる場所を選び自分たちの釣りをゆっくり楽しみ、フライフィッシングに没頭しました。千曲川でも同様に私達は二人の釣りを総合することで早くその日のパターンやポイントを知ることが出来き、釣果を上て来ました。私と遠ちゃんは本当に良いパートナーだったと思っています。

千曲川での25年も前の出来事でした。「遠ちゃん今日の魚、変じゃない?見に来るけど食わないで戻ってしまわない?」「そう言えばドラックがかかってないのに帰るよな?」「スパークルダンに替えると素直に食うだよ!遠ちゃんも変えて見てくれない。流し方の問題ないみたいだ?」遠ちゃん「どれどれ!」フライをスパークルダンに替えて流してみる。「お!ほんとだ。簡単に食ってくる。」二人で食いに来て戻っていたイワナに対しフライをスパークルダンに替えて何度も流しました。するとことごとくフライを素直に食ってきました。私達はコンパラダンに比べてスパークルダンは魚にとってより安心して食べる事の出来る物なのだと感じました。二人の説ですがフライが水中に有ると錯覚して安心するのだと思います。このようにコンパラダンとスパークルダンの釣果対比の違いをその場で原因解明ができたのも近くに遠ちゃんがいたからです。以前はスパークルダンのシャックがアンカーになってドラッグが掛りにいのでコンパラダンよりシャックの付いたスパークルダンの出方が良いと思っていました。ところがそれだけではない事を判明出来たのです。この事は最近になって虫の研究をしている刈田氏が同様な理論を記事に書いていたようです。

以前千曲川ではストリームサイドに来る釣り人の個々がブルーウインブ・オリーブのボデーカラーが少しずつ違っていました。3月から7月にかけて毎週のように釣行している私達は季節が進むにつれサイズの小型化とカラーが明るく変化してくる事も判りました。おそらく水棲昆虫その物の種類が変化しているのだと思いました。遠ちゃんとの釣行は二人のどちらかが結果を出すことで互いに意見を語り合い確かめることが出来るので結果を出すのが早く又それが楽しかったのです。  今年の2月に行ったニュージーランドでは今でもガイドのマーリーが遠ちゃんと私がフルナキリバーで次々と沢山の鱒を釣った事を自分の事の様に同行した小島さんに「凄かった!」と話をしていました。ニュージーランドと言えば私と2度目の釣行で夜中に遠ちゃんの喘息の発作が出てしまいヒューヒューと息を鳴らし始めました。「遠ちゃん大丈夫?朝まで我慢できる?」心配でした。朝、迎えに来たガイドに辞書で調べておいた単語で「He has asthma!」すぐにガイドは病院へ直行してくれました。治療して吸入薬をもらい遠ちゃんはロッジで休む事にして、私とガイドのルイは山上に有るダムで釣りをすることになりました。私は釣りをいていても気がきでは有りません。湖で最初にフライを食った魚は特大のレインボーでした。その魚の尾鰭は扇子の様に大きく「やった!」と思った瞬間にジャンプした魚が 着水した瞬間にラインがリールのハンドルに触れ一瞬で切れてしまいました。その後もなんだか落ち着かずガイドに一度ロッジに戻るよう示唆して遠ちゃんの様子を見に行きました。遠ちゃんはだいぶ落ちついていました。「大丈夫?」「良くなったよ!」遠ちゃんの体に負担のかからない釣り場トンガリロのボトムへ行く事にしました。ボトムではこの日ビックレインボーのバラシだけで釣れていない私をしり目に50cmのレインボーを釣り上げました。そのニュージーランドも完全フリーになったら一緒に行こうと話をしていた矢先でした。私は最大の楽しみにしていました。遠ちゃんとの事は思い出すときりが無いほど走馬灯のようによみがえって来ます。最近では遠ちゃんに体がきついなら近くで足場の良い忍野に週に1回、2回、行くもいいよと話をしていました。

以前、二人で釣りの絵を書いて見せ合ったりもしていました。この時初めて遠ちゃんが私と同様に絵が好きだった事を知りました。 何年か前には毎年のように弟さんから海産物を送って頂き一緒に岩蠣やホタテを腹いっぱい食べました。サンマやフカヒレの時もありました。サンマは遠ちゃんの勧めで一味唐辛子を付けて食べました。その後私は新鮮なサンマが手に入ると一味唐辛子を付けて食べるようになりました。 正月休みに遠ちゃんが我が家で一緒に食事をするようになって私が作った正月料理を釣り友達と一緒に食べ、釣り談義をかわした事も何度かありました。釣りに早朝出かけて行く時、塩雲丹を塗った海苔餅を持って行くと「旨いな!贅沢な餅だ」と言って缶コウヒーを飲みながら一緒にパクつきました。7月になると鮎釣りも一緒に行きました。釣った魚を私の家で焼いたり、から揚げにしたりして一緒に食べました。いくら語っても出てくる思い出はつきません。遠ちゃんは私の無二の親友でした。その遠ちゃんが今この世にいない事を受け止められません。私にはもう少し時間が必要です。

遠ちゃんのお墓は高台の本当に気持ちの良い環境の墓所にありました。
ご冥福を祈ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 


 


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